本紙715号紹介の、御成道に沿う「御成坂公園」の手前に、見沼代用水に掛かる吹上橋があります。その付近が、江戸日本橋から5番目の一里塚の地点に当たり、木製の標識が両側に立つ。家康は、天下を制したのち、支配権を確立するために、江戸日本橋を起点に街道に一里塚を築いた。一里ごとに塚を置き、印として榎を植えたのだそうで、吹上橋のそれもかつては榎が周辺にあったと記されている。一里塚の先の坂を上った途中右手奥に、千手院があったそうだ。鳩ヶ谷宿の中心の寺として多くの信仰を集め、浅間社を管理していたこともあった。現在は坂下2丁目へ。

一里塚に戻ってみよう。標識の近くには「宮道」の案内がある。氷川神社へ通じる道で、ゆるい勾配の参道入り口の真っ赤な鳥居をくぐると、その先に神社がある。大晦日には、お参りの列が朝方まで途切れない参拝者の多い神社だ。

神社の脇を抜けて広い道に出ると、再び御成道に出る。その御成道を北に100メートルほど進んだ右手の小さな社が「市神社」。毎月3と8の日に、市が開かれたことから三・八市と呼ばれて繁盛した。市神社はその祭神を祀る。旧鳩ヶ谷市の当時のにぎわいを伝える史跡の一つでもある。

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