川口市を流れる芝川。上流はさいたま市との市境だが、そこはかつては広大な沼地だった。1600年代、赤山に陣屋を築いた関東郡代伊奈忠治により、その沼地は大きく変貌する。治水事業に長けた忠治は、沼地を大灌漑用水池にすべく工事に掛かる。工事は、この地を囲む両岸の台地がもっとも狭まった地点に堤を築く大事業。中央を流れる河川を止め、広大な溜井を作った。結果、溜井の下流地域は潤うことに。だが、沿岸部は増水による浸水被害にたびたび泣いた。

1700年代、徳川吉宗は関東一帯に新田開発を行った。この時、見沼は二度目の変貌を遂げる。工事は吉宗の信望が厚い井澤弥惣兵衛為永が抜擢され、為永はあの溜井の堤を切った。干拓は進み、江戸の穀蔵となる大水田地帯が誕生した。

溜井に代わる水源はというと、利根川から水を引くことになり、用水路が開削された。これが見沼代用水。見沼代用水は、約3㍍の落差の芝川を挟んで東西に流れる。為永は、その落差を埋めるために「通船堀」を作った。2か所に閘門を設け水位を調整しならが船を進める技法だ。

東縁は毎年夏に閘門の開閉実演が行われ、周辺は整備が進む。西縁の遺構は当時を彷彿させる。

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