日光御成道(以後御成道)は、江戸時代に五街道と同様整備された脇往還のひとつで、江戸日本橋を起点に中山道の本郷追分で分かれ、岩淵宿、川口宿、鳩ケ谷宿、大門宿、岩槻宿を経て幸手宿手前の幸手追分・上高野で日光街道と合流する。この道は、将軍の日光社参に使用され、社参は徳川家康の命日4月17日に行われた。

さて、御成道を北へ進んだ最初の宿場が岩淵宿だ。ここは旅人に宿を提供するだけではなく、荒川の上下流の水運を利用し物資の集積場としてもにぎわいある宿。荒川越えという渡しもあって、古くから交通の要衝となっていた。

次の川口宿は、荒川を挟んで岩淵宿の対岸。社参の時の荒川越えは、川に多数の船をつなぐ船橋を渡ったそうだ。現在は片側2車線の荒川大橋が掛かる。大橋を渡ったら左へ。鋳物工場を模したという学校を左に、なだらかな坂を下りると右手に「鎌倉橋の碑」が建つ。源義経が奥州から鎌倉へと馳せ参じた時に通ったとされる。

付近は川口宿が置かれた本町1丁目、「本一通り」。鎌倉街道中道が通っていたところで、それを示すのが鎌倉橋だ。御成道は、鎌倉街道中道を整備した道である。

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