徳川将軍が日光東照宮の先祖の霊廟にお参りする往復路に利用した、日光御成道。現在の本一通りが、その御成道の重要な役目を果たした地であり、重要な人物も生み、本一通りが走る本町1丁目界隈にはたくさんの“初めて”が生まれた場所でもある。

川口に初めての学校、現在の本町小学校の前身はこの地でスタートした。本町2丁目の今の地に新校舎が建つまでの20年余、子ども達の学び舎として賑わった。

川口郵便局はこの地からスタートした。明治・大正・昭和と三代にわたりこの地で郵便業務を務めあげた。新庁舎が完成した昭和5年、現在の本町2丁目に移転するまで川口郵便局の前身は、本一通り沿いで営業続けていた。大正期には寄席演芸場も開設されたそうだ。

医学博士でもあった初代川口市長はじめ、歴代の市長はこの地から誕生した。中でも昭和の初めの永瀬庄吉川口町々長は、鋳造に初めて動力を導入した人物であり、自家邸内に火力発電所を建設し町内に初めて電気を灯した人物でもある。川口市制施行後の初代市議会議長であり、第3代市長は永瀬庄吉氏の長男でもある。

様々な面影を残す御成道・本一通りの先は、徳川家とのゆかりの寺錫杖寺に続く。

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