江戸時代に行われた社参(大御所或いは世子が日光東照宮を参詣)は、家康の命日4月17日に合わせ実施された。一行は江戸城を4月13日に発ち、岩附城、古河城、宇都宮城にそれぞれ泊り、日光入りは16日。祭礼は、翌17日という日程だった。

さて、錫杖寺で昼食をすました社参の列は、御成道を北に進む。鳩ヶ谷宿にかかる台地の裾野辺りは松や杉が並木をつくっていたそうで、眺めの良さに将軍は乗っていた籠を降りたとも。その後並木は鳩ヶ谷八景に挙げられたものの、道路の拡幅工事により全ての松・杉を伐採。今は名勝を偲ぶ石碑が残る。

鳩ヶ谷というと、二人の偉人が生まれ育った地だ。一人は小谷三志。天の三光はこの世の全てのものに平等に光を与え、その光を受けている人間も士農工商や男女の差なく平等である─と説きながら全国を巡った人物だ。各地で多くの弟子が育ち、二宮尊徳もその一人。女人禁制の富士山に、女性・高山たつを登頂させたのも三志である。

もう一人は大熊氏広。西洋彫刻を学んだ大熊氏広は、多くの彫刻を残した。代表作が靖国神社に建つ、大村益次郎像。大勢の人々が集まる空間に記念像を建立する習慣がなかった日本に、像は新たな名所として話題になった。

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