ラジオ放送が始まった昭和の初めに、東京中央放送局新郷放送所が愛宕山の放送局から我が町の赤井地域に移ってきた。場所は、現在の文化放送川口送信所の地。ここの前身が東京放送局であり、日本で初めてラジオ放送事業を実施した後の日本放送協会(NHK)だ。

電波遺産の一つ,鉄塔を支えたコンクリートブロック。

NHKは、さらに大電力での放送計画を立て、昭和12年には田園地帯だった上青木地域に第一放送所、旧鳩ケ谷市里地域に第二放送所を開設した。建設には広大でかつ平坦な土地が求められ、さらに条件として大量の水が得られる場所が挙げられた。上青木町や里地域が選ばれたのは、当時の電波発信機には真空管が使用されていたため冷却用の水があることは必須条件であり、平らな田園地帯でもあることから放送所建設の条件を十分に満たした地だった。

昭和12年の年末、150キロワットの大電力による放送所は完成した。当時としては日本一の高さを誇る、312.8メートルもの二本の鉄塔が建ち、のどかな田園地帯こそ一変したが、ここから関東一円にラジオ放送が送信された。

SKIPシティの空き地には、日本一高い鉄塔を支えた跡が今も残る。312.8メートルもの鉄塔が如何に高さを誇るものだったのかを想像できる。その跡とは、軟弱な地盤に建つ鉄塔を支えるためのコンクリートブロックだが、形こそ異なるがその一つひとつはなんと、800tを超える重さがあるとのことだ。40年後の昭和51年、菖蒲久喜放送所に移されるために鉄塔こそ壊されたが、塔を支えたそれらコンクリートはそのまま。電波遺産の一つである。

 

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