昭和19年、地下に放送所を造る準備が始まり、翌年第二期工事が着工した。戦争真っ只中のこと、物資は底をつき放送機の命であるコイルさえも手作りを余儀なくされる中、広島に落とされた原爆で放送機製作も地下でとの計画さえあったそうだ。終戦の日を迎えるが、その日から9日目、早朝から9時間にわたりラジオ放送の電波が止まった。玉音放送に納得しない陸軍予科士官学校の生徒等が教官に率いられて、川口放送所を占拠したのだ。戦争継続が目的で放送電波が使われたら、大変なことになる。午後になって説諭され、一行は引き上げた。新郷工作所にも兵士が取り囲んだと記録にある。終戦から4年後の夏、新郷工作所は150キロワットの放送機を造る大プロジェクトにかかわる。技術局や川口放送所とともに、戦後のモデルとなる見事な放送機が設計され、完成した翌年の昭和26年春、13年続いた放送機製作の業務は幕を下ろす。

現在の文化放送川口送信所(赤井3丁目)、数年前までは新郷放送所(後の新郷工作所)の建物が確認できた。その一角、草に覆われた地下には高さ4ートル、厚さは28センチのコンクリートの建物。そこから青木地域に移った送信所は、日本一の高さを誇る鉄塔が建つ旧川口送信所。現SKIPシティの一角には、その鉄塔を支えた巨大な杭に当たるコンクリートが点在する。里地域には第二ラジオ放送所があった。市内には、他地域にはないそうした電波の歴史があり、活躍の跡は今も残る。これらは貴重な資料だが、知る人はあまりにも少ない。「川口の電波遺産」と呼び、さらに学習を広げていく予定だ。

旧新郷放送所へは、鳩ケ谷駅東口から草加駅西口行バスで「辰井公園前」下車。SKIPシティへは、川口駅東口・西川口駅東口からバス、「川口市立高校」下車。

(Visited 28 times, 1 visits today)
0