この秋の11月、天皇陛下御即位の祝賀式典が行われ、お祝いムードは今なお続く。

そんな中、天皇陛下ならびに上皇陛下は川口を訪れたという記録があり、ゆかりの地等にスポットを当ててみる。

天皇陛下は皇太子時代より水運の研究に携わる。水問題は学生時代から続く陛下のライフワークだ。2006年、その研究の一つに見沼通船堀を視察された。我が街の水運を語るに欠かせない重要箇所だ。

 北条氏滅亡後に、秀吉の命により徳川家康が国替えを命じられた場所が関東の地。当時江戸は寒村であり、無数の大小河川が乱流していた。家康は、関東郡代の伊奈忠治に命じて利根川と荒川を分離するなど水害から江戸を守り、荒地の開発を手掛けた。その時、現在の見沼に八丁堤をつくり、新田開発用に溜井を築いた。吉宗の時代になると新田開発が進み、治水事業に秀でた技術を持つ井澤弥惣兵衛により見沼為井は干拓され、必要な用水は利根川より引いた。為井の縁に添って東西二本の用水を設けた。これが「見沼代用水」となる。見沼にできた新田の中央を流れるのが芝川であり、見沼代用水東縁、同西縁を結ぶ運河が見沼通船堀だ。運河は、利根川から江戸湾までの舟運を可能にした。

天皇陛下は皇太子時代より水運の研究に携わる。水問題は学生時代から続く陛下のライフワークだ。2006年、その研究の一つに見沼通船堀を視察された。我が街の水運を語るに欠かせない重要箇所だ。

 見沼代用水と芝川とは3メートルの水位差があるために、二か所に関を設けて水位を調節しながら通船する。パナマ運河が同じ働きをするが、それが江戸中期に川口の一帯に造られていた。皇太子だった陛下が、一の関をご覧になる記録が残る。その折、陛下のお印の「梓」をお手植えされた。「梓」は木曽呂の富士塚の麓に今もある。

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