上皇陛下が川口市にお越しになったのは、一度や二度ではない。50年以上前になるが、埼玉紡績の会社を視察されたことがある。

紡績と言ったら中京地域がトップを占めていた頃に、関東にいち早く紡績会社を立ち上げたのがこの埼玉紡績であり、市内前川に設立された。企業の柱は紡績だが、レースを製造する工場もあった。機械化された工場内にはたくさんの女工さんが働いていたそうだ。同社のレース工場は、市内安行領根岸につくられた。旧イオンが建っていた場所だ。当時皇太子だった上皇陛下は、工場内で女工さんたちがてきぱきと機械を操る様子や、機械の複雑な動き、レースの仕上がり等をじっと見入っておられた。そのお姿がフィルムに残る。

紡績と言ったら中京地域がトップを占めていた頃に、関東にいち早く紡績会社を立ち上げたのがこの埼玉紡績であり、市内前川に設立された。企業の柱は紡績だが、レースを製造する工場もあった。機械化された工場内にはたくさんの女工さんが働いていたそうだ。同社のレース工場は、市内安行領根岸につくられた。旧イオンが建っていた場所だ。当時皇太子だった上皇陛下は、工場内で女工さんたちがてきぱきと機械を操る様子や、機械の複雑な動き、レースの仕上がり等をじっと見入っておられた。そのお姿がフィルムに残る。

鋳物の街と呼ばれた川口だが、昭和の初め頃の統計には、織物が第3位の産業だった記録が残る。江戸時代末期、塚越村(蕨市)の高橋新五郎が、幾度となく織機の改良と工夫を重ね、精巧な青縞が生産できるようになる。やがて横曽根、芝、前川地域方面に広まり、明治初期にはすでに専業の機屋が存在した。中でも神根や芝、青木地域では機業が大いに振い、織物は川口の重要産業のひとつに発展していった。特に、機械の整備が進んだ昭和5年から5年間ほどは、川口の織物業は最盛期を迎え、織物の工場は100軒を超えたといい、女工さん等織物に携わる従業員は2千人を超えていた。

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