本紙5月号の「お勧めスポット 第81弾」は、市内の石造物を取り上げました。石造物には、建立当時の記録が刻まれており、紙の古文書と同じく歴史を物語ります。そんな石造物が語る歴史の実像に魅せられ研究される人々から、反響をいただき、市内北西の東内野地域を訪ねました。

石仏で語り合う蓮見さん(写真左)と守谷さん

 中央通りの北・グリーンセンターを抜け、東京外環自動車道高架下をくぐり「木曽呂北」交差点を過ぎると、所々に商店が出てきます。その一帯が東内野地域。さいたま市との市境に位置します。当地は江戸の頃は内野村と言い、明治になって名称が東内野に変わります。

 同地域は、明治から昭和にかけては天然氷で有名になり、北海道や秩父に次ぐ生産高があったといいます。

 さて、案内していただく人との待ち合わせ場所は東内野町会会館。地図には羽黒神社が標される通り、敷地に入るとすぐ右手に鳥居が建ち、鳥居をくぐった先に羽黒神社が鎮座します。本殿は小さく可愛らしい姿で、脇には樹形の良い槙の木が天を仰ぎます。会館は、鳥居をくぐらず広場を真っすぐ進んだ先の平屋の建物。心地良い鳥のさえずりが響きます。脇には六地蔵と伝説のおよし地蔵、数基の石造物が並び、裏手には墓地が広がります。神仏分離令前には長福寺という寺院が存在しました。

 案内役の二人は、「護っている石造物がある」と連絡をいただいた蓮見豊治さん、地域の調査・研究を続ける守谷友一さん。

 3人で石仏一つひとつの確認作業を始めた所、蓮見さんが一つの石仏を指し、話を始めました。石仏の横面には建立者の名前が刻まれています。「先祖とならんでいますから、大切な方とは思うのですが見たことがない文字です」と。その刻まれた文字は「蓮見」名とならんで「森谷」という名で刻まれてありました。「森谷というのは、聞いたことも見たこともなく気になっていた」と蓮見さん。

 石仏に付いた汚れをふき取っていた守谷さんは、「森谷」を見るなり、「自分の先祖です」と、満面の笑みで答えを出しました。守谷さんの話では「守谷」姓は古くは「森谷」と書いたそうで、いつから変わったかは定かでないが、確かに守谷の先祖だとのこと。

 二人の先祖が力を合わせて石仏を建立し、偶然にも令和の年に末孫のお二人が先祖の絆が深かったことを確かめあった日となり、意外な発見や出会いの日となりました。石造物は建立した施主や協力した人々、石を扱う職人、立地条件などを調べることで地域の歴史や文化等が分かることが多く、調査や研究によっては新しい近世史が生まれることもあると言います。

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