地下鉄に乗ると、車内ビジョン広告が気になる。南北線のそれは「家が欲しいけど都内は高いし… 川口はどう?」と導入、「ほぼ東京 東京駅まで23分」「保育園増設中」「週末は荒川で」等と町をPR。最後に流れる若い男女が荒川の土手をサイクリングする映像は、降り注ぐ日差しの下で犬と一緒に散歩する人の姿なども想像でき、街のイメージはアップする。生活基盤が川口にある者からするとあの広告は、自虐もありながらもなんとなく好きになれる。

河川敷では時間がゆっくり流れる

 荒川の今の流れは、関東郡代伊奈氏の瀬替え工事で作られた新たな流路だ。古くは、元荒川筋を流れて利根川に合流していた川である。瀬替え後、川口町を流れる荒川には、川を挟んだ対岸にあったのが岩淵宿。岩淵宿は日光御成道に掛かる重要な宿であり、川口宿との往来は必須。橋のなかった当時、荒川渡船と呼ぶ渡し船ができ、二つの宿を結ぶ役割を果たした。渡船は二つの宿をつなぐ唯一の交通手段であり、新編武蔵風土記には、‘荒川に設く日光往来の渡しなり平常は舟三艘を置いて便す’とある。

 当時の街道にはほかに日光街道があったが、荒川を渡る手段はなく、そのため将軍の日光東照宮参拝は、岩淵、川口、鳩ヶ谷、大門、岩槻の五宿を経て日光へと往復する日光御成道が利用されることになる。荒川を渡る将軍は、舟を幾重にも並べた上に板を敷いた仮橋を架け、篭に乗ったまま渡ったといわれる。渡しは、江戸時代の浮世絵「川口のわたし善光寺」に残り、渡船頭を川口町の高木家が勤めたそうだ

 太陽が恋しくなったら荒川のほとりに出かけてみては。前回この欄で紹介した三領水門の辺りも、土手の上ではサイクリングやジョギングが行われ、中腹では絵を描く人、腰を下ろして休む人、摘み草をする人のほか、土手の下ではタコ挙げや楽器を鳴らす人など河川敷きだからこそ見られる景色がある。古人を偲びつつ、三領門を東へ進みながら振り返るようにして右側を見ると、富士山が現れる。

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